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2014年04月06日
漢詩の基礎やってみた(絶句編)
李白の「山中問答」を一首、題材にしてみました。
漢詩は「首(しゅ)」と数えます。
日本の和歌が「一首・二首」と数えるのと同じです。
・問 余 何 意 棲 碧 山
・笑 而 不 答 心 自 閑
・桃 花 流 水 窅 然 去
・別 有 天 地 非 人 間
この漢詩は「七 言 絶 句」となります。
一行づつを「句(く)」として、この詩は四句となります。
一句が五字になる詩を「五言(ごごん)七字になる詩を「七言(しちごん)と呼び
四句でおさめられた詩を「絶句」と呼びます。
一句を「起句」二句を「承句」三句を「転句」四句を「結句」と呼び「起承転結」という。
通常偶数句の最後を同じ響きの字に揃えますが奇数である一句の字に揃えている場合があります。
この句の場合は「山」・「閑」・「間」をもって「ん」に揃えられています。
これを「押韻(おういん)」と言い、「韻を踏む」などと言われます。
漢詩を読む際には人によって多少その意味合いに違いが生じます。
大意は同じですが、その表現の言葉の前後次第で、詩心を思い浮かべたときに
個人的な違いが生まれるのも漢詩の面白いところです。
読み方
余に問ふ 何の意あってか碧山に棲むと
笑って答へず 心 自から閑(かん)なり
桃花流水 窅然(ようぜん)として去る
別に天地の人間(じんかん)に非(あら)ざる有り
大意(A)
君に問うが、なにゆえ青い山の中に住んでいるのか
笑って答えないが、心は自ずから静かだ
桃の花,流れる水、その奥深くに分け入れば
俗世とはまた別の天地があるさ
大意(B) (心彰流 古今詩歌 愛誦吟詠集 第三集)より引用
ある人が、私にどんな気持ちでみどり濃い山に住むのかと聞く
だが、私はそんな問いには笑って答えない。私の心はのどかである
流れに散って浮かぶ桃の花が、遥かに流れ去っていくが
ここは、俗世界と違う別世界なのである
どうでしょうか・・・大意(A)と(B)では
心の中に広がる風景が変わって感じませんか・・・
まぁ、その変り方にも個人差が出ますので、詩の解釈にどれが正しいということはないと思います。
※このブログ(ページ)の内容は他人に教えようというものではありません。自分が独学で勉強していることを書き記して(ノート代わり)います。漢詩について詳しい方がおられたら、是非ご教示お願いいたします。
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漢詩は「首(しゅ)」と数えます。
日本の和歌が「一首・二首」と数えるのと同じです。
・問 余 何 意 棲 碧 山
・笑 而 不 答 心 自 閑
・桃 花 流 水 窅 然 去
・別 有 天 地 非 人 間
この漢詩は「七 言 絶 句」となります。
一行づつを「句(く)」として、この詩は四句となります。
一句が五字になる詩を「五言(ごごん)七字になる詩を「七言(しちごん)と呼び
四句でおさめられた詩を「絶句」と呼びます。
一句を「起句」二句を「承句」三句を「転句」四句を「結句」と呼び「起承転結」という。
通常偶数句の最後を同じ響きの字に揃えますが奇数である一句の字に揃えている場合があります。
この句の場合は「山」・「閑」・「間」をもって「ん」に揃えられています。
これを「押韻(おういん)」と言い、「韻を踏む」などと言われます。
漢詩を読む際には人によって多少その意味合いに違いが生じます。
大意は同じですが、その表現の言葉の前後次第で、詩心を思い浮かべたときに
個人的な違いが生まれるのも漢詩の面白いところです。
読み方
余に問ふ 何の意あってか碧山に棲むと
笑って答へず 心 自から閑(かん)なり
桃花流水 窅然(ようぜん)として去る
別に天地の人間(じんかん)に非(あら)ざる有り
大意(A)
君に問うが、なにゆえ青い山の中に住んでいるのか
笑って答えないが、心は自ずから静かだ
桃の花,流れる水、その奥深くに分け入れば
俗世とはまた別の天地があるさ
大意(B) (心彰流 古今詩歌 愛誦吟詠集 第三集)より引用
ある人が、私にどんな気持ちでみどり濃い山に住むのかと聞く
だが、私はそんな問いには笑って答えない。私の心はのどかである
流れに散って浮かぶ桃の花が、遥かに流れ去っていくが
ここは、俗世界と違う別世界なのである
どうでしょうか・・・大意(A)と(B)では
心の中に広がる風景が変わって感じませんか・・・
まぁ、その変り方にも個人差が出ますので、詩の解釈にどれが正しいということはないと思います。
※このブログ(ページ)の内容は他人に教えようというものではありません。自分が独学で勉強していることを書き記して(ノート代わり)います。漢詩について詳しい方がおられたら、是非ご教示お願いいたします。
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